シャクザのアニメ・漫画・ゲーム感想ブログ

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僕が考える『なろう系』の定義と気持ち悪さを感じる理由

 近年、『なろう系』と呼ばれる作品のアニメ化が急増しています。2023年冬のクールでは10本以上あり、なかなか衰えが見えません。

 しかし、僕は正直そのほとんどが見るに堪えない、というか率直に言うと気持ち悪さすら覚えてしまうものばかりだと考えております。

 今回、何番煎じか分からないけど改めて『なろう系』の定義を決めて自分のスタンスを明確にし、なぜ僕が嫌いなのかその理由を深堀りします。

『なろう系』とは

 

 まず単純に考えれば『なろう系』とは『小説家になろう』に投稿された作品たちのことですが、僕的にはそれはちょっと違います。『小説家になろう』発の作品でもキモイとは感じないものもありますし、逆に違うところから発信されたものでも『なろう系』だと感じるものもあります。

 因果関係が逆転しているような気もしますが、要するに僕が気色悪いと考えてるものが『なろう系』だと理解してください。

 では、『なろう系』とはなんなのか。それは、「主人公に対してだけ世界そのものが優しすぎる」ことだと思います。追放系も転生系も転移系も婚約破棄系も悪役令嬢系も全てこの言葉に当てはまっているのです。

 男主人公の場合、大抵はチート能力を持っていてよく分からない薄っぺらい理由で巨乳で可愛い女の子たちにどんどん惚れられていく。一方で主人公以外の男キャラは大抵雑魚でクズであり(これは主人公の友人でもほぼ同じ。引き立て役でしかない場合が多い)、過剰なほどの仕打ちを受ける。

 女主人公でもほぼ変わりません。ハーレム展開になりづらいからまだマシかもしれませんが、まあ結局イケメンたちに囲まれるから同じようなもんです。

 ぶっちゃけ上手くいきすぎなんですよ。ほとんど何の苦労もなく思い通りに事が進んでいく様を見せつけられても、「うわぁ……」と引いてしまう。そういったご都合主義のオンパレードを作り出した作者やその環境に目がいってしまい、物語を純粋に楽しむことができなくなるのです。普通の作品ではそんなこと思わないのに。

 それは、人間が普段隠している剥き出しの欲求が作品から垣間見えているからです。

 他人の身体、心、尊厳、世界すらも全てを意のままに操りたいという浅ましい欲求。やっていることは、実は主人公たちに敵対する悪役と何ら変わりないのです。

 

 じゃあすべて上手くいかない話が面白いのか、なんてズレたことを言う人もいるかもしれませんが、そうじゃありません。0か100で物事を考えるのはいくらなんでも極端が過ぎます。むしろ、全て上手くいかない話もそれはそれで面白くはないでしょう。

 最終的にハッピーエンドを迎えることに何ら異存はありませんよ。そうではなく徹頭徹尾、ハッピーなことしか起こらないのが問題だって言ってるんです。ハッピーというのは道中に起こった様々な困難を乗り越えたからこそより際立つのであって、最初からハッピーだったら特になんらかの感情が巻き起こることはないのです。

 

最後に

 

 こう思う方もいるかもしれません。『なろう系』にそんなものを求めるのはおかしい、俺たちはそれを分かっていて楽しんでいるんだ、と。その感性を僕は理解できませんが、否定するつもりはありません。

 しかし、僕は『なろう系』だからと言って評価の軸を下げることはしません。それは、『なろう系』以外の他の作品群に失礼だからです。

 ハードルを極限まで下げれば確かに楽しめるものもあるかもしれません。しかし、下げるなら『なろう系』だけに留めず他の一般的な作品にも適用してください

 皆さんが面白半分に『なろう系』ばかり評価してしまうと、これからも似たような作品たちが世に出てしまうかもしれないからです。これは決して妄想ではなく、2023年に放送予定の『なろう系』アニメの数と、他の年のアニメの数を調べればすぐに分かることです。

 そうなったら、他の一般的な作品たちが日の目を見る機会がどんどん減っていきます。行き着く先は停滞です。そうはなってほしくない。だからこそ、全ての作品をあなた自身が設定したハードルで、同じ目線で評価してほしいのです。